つかさの自由帳

140文字では伝えきれないこと:自由について本気出して考えてみた


僕たちの心は「ギャップ」に支配されている

140文字でまとめると『ギャップ』って超重要じゃね?ってことです。

僕たちの心とカエルの目

突然だけれどもカエルの目は動いているものしか認識できない。ハエが目の前に止まっていても、ハエが動かない限りカエルはまったく反応しない。しかしハエが飛び立った瞬間、あっという間に舌を伸ばして食べてしまう。
 
さすがに人間の目はそこまで単純にできているわけではないけれども、カエルの目と似たような欠陥も持っている。スイスの哲学者トロクスラーが発見した有名な目の錯覚がある。下の図の真ん中の+をずっと見つめてみて欲しい。周囲の色点がひとつまたひとつと消え去り、最後にはまったく見えなくなってしまう。しかし少し目を動かし視点をずらしてみると、再び色点は姿を現す。カエル並とは言わないけれども、僕たちの目も動くものを認識するようにできている。
 

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ギャップの話(マクロ編)~幸福について

この動いているものしか認識できないという特性は何も知覚の話だけではない。僕たちの心にも大きな影響を及ぼしている。
 
例えばマクロな視点からみると幸福度はその代表的なものだ。以前の記事で幸福を「快楽」「やりがい」「優越感」というキーワードを使って読み解いたが、特にギャップが重要な役割を持つものが後ろの二つだ。「やりがい」から見ていこう。(厳密に言えば「空腹は最高のスパイス」という言葉に代表されるように「快楽」におけるギャップも存在するが、後者二つほど決定的なものではないのでひとまず脇に置いておく。)
 
「やりがい」についてはTwitterのフォロワー数をイメージしてみれば分かりやすいかもしれない。一生懸命つぶやいて、フォロワーが増えている間は楽しいが、その増加が止まり停滞し始めると幸福感は減少する。
 
この場合の幸福度を感じるための鍵は「成長率」というギャップだ。昨日よりも今日、今日よりも明日といった具合に自分の成長を感じることができれば、幸福度は高まる。逆に地位やお金があっても成長が停滞していれば幸福度は限定的なものとなる。
 
次に「優越感」というのは、他者との間にあるギャップのことだ。これが「やりがい」と異なるのは、自身の成長を必要としない「疑似的なギャップ」であるという点だ。つまり上のトロクスラーの錯視図と同じように視線を他者に向けるだけでギャップを得ることができるのだ。この場合の幸福は「成長」を必要としないお手軽なものなので、僕たちは細心の注意を払わなくてはならない。「優越感」に溺れた人の成長はそこで止まってしまう。
 
さて「やりがい」と「優越感」は実質的か疑似的かということで対比できるが、対象が自分自身か他者かということでも区別することができる。ギャップを過去の自分や未来の自分に見い出せばそれは「やりがい」となり、他者に向けると「優越感」(あるいは劣等感)となる。
 
おそらく「幸せは自分の捉え方次第」と言う人はこのギャップのコントロールのことを言っている。いかにも美しいセンテンスである「日々健康でいられることに感謝」とか「家族がいることの幸せ」という言葉の裏には「不健康な自分(もしくは他者)」や「家族がいない自分(もしくは他者)」が必ず存在する。
 
まあいずれにせよ幸福を読み解く上で重要なのは「ギャップ」ということに大きな間違いはないだろう。 

増減ではなく、増減率?

ここからは仮説だけど、もっと「ギャップ」を突き詰めて考えるとその増減にすら慣れる時が来てしまうのかもしれない。つまり毎日1ずつ成長するとした場合、しばらくはその成長に「やりがい」を感じられるが、次第に「1ずつ成長」という状態にも慣れてしまう。従って今日1成長したのであれば明日は2以上成長しなければならない。
 
これは考え過ぎかもしれない。しかしもしそういう人がいるのであれば、その人は幸福ジャンキーであり、多分歴史に名を残したりする人だろう。上場企業の創業経営者とかはそんな幸福ジャンキーなんじゃないかなと思っている。

ギャップの話(ミクロ編)~魅力について

さてギャップの重要性について幸福度というマクロな話をしてみたが、より実践的なのはミクロの話だろう。ギャップの話を少しスケールダウンすると、魅力度の話となる。
 
例えば恋愛には「ギャップ萌え」という言葉がある。有名な例えでは、「不良が雨に濡れる捨て猫に傘をさす」という、例のアレだ。普段はオラオラで怖そうに見えるヤンキーが捨て猫に対してふと優しい一面を見せる。それだけで女性たちは膣、いや胸キュンしてしまうのだ。「ヤクザだけどクッキー焼いたよ」というスレが昔2chに立っていたが、これもひとつの類型だろう。
 
またツンデレもギャップ萌えの代表的な例のひとつだ。普段はツンツンでもふとした時に好意を寄せてくる、そんな女性に男はチンきゅんしてしまう。この現象も僕たちの心が悪から善、嫌いから好きという「変化」を敏感に感じ取っているためだ。

変化が重要なのはクリエイティブな領域も同じ

変化率によって魅力を醸し出すのは何も人間に限った話ではない。映画や小説、漫画など多くの芸術作品にも同じことが言える。特に物語の最後にある大きな変化は『オチ』とも言われ特に重要な部分を描き出す。思うに絶望の中に希望の光を見出す、という手法が観客のカタルシスを呼び起こす上でよく使われるのではないだろうか。
 
例えば僕が好きなミスチルも歌詞の中に絶望と希望を上手く織り交ぜている。曲全体の歌詞を載せるとジャスラックがうるさそうなので控えるがパッと思いつく限り、恋愛ソング以外はほぼ全てと言っていいくらい絶望から希望へのギャップを巧みに使っていることが分かる。個人的には「終わりなき旅」「箒星」「東京」「HOWL」「跳べ」あたりが秀逸だと思っているので時間がある人は少し覗いてみて欲しい。
 
さてミスチルは曲全体でこのギャップを行き来することを得意とするが、もっと極端なのは「君の名は。」の大ヒットで益々人気に拍車がかかったRADWIMPSだ。彼らの歌詞は「夏に笑うサンタ」「昼間に輝く星」「真夜中に架かる虹」などワンフレーズで美しいギャップを作ることを得意としている。(これは引用の範囲ですよね?ジャスラックさん)このへんはコピーライティングにおいても大いに学ぶことがあるのではないだろうか。もっとも、この点に関してはロキノン好きの僕のバイアスが思いっきりかかっていることは否定しないけれども。
 
文章という意味ではTwitterの有名人、説教おじさんも間違いなくギャップ使いの達人だ。下のTweetを見てもらえば分かるが前半は真面目に語り、後半は前半の真面目な話題に絡めた自虐及び下ネタとなっている。真面目なことを語るフリをして最後に自虐を持ってくる、一般化すると意外にも簡単な話なのだがセンスが必要なことは言うまでもない。

 

さて他に「変化=魅力」となるものは何があるだろうか。そう考えた時にやはり触れておかねばならないのはAVのインタビューシーンだろう。AVのインタビューシーンは女優の日常とエロのギャップを作り出す上で非常に重要な役割を持っている。だからインタビューシーンでは「普段の仕事は?」とか「買い物はどこに行くの?」とかを聞くべきであって、間違っても「初体験は?」とか「性感帯は?」とかは聞くべきではない。これは後々のエロシーンに感じる日常とのギャップをなだらかなものにしてしまうからだ。異論は認める。

 
もちろんこれは恋愛でも同じことが言える。クラブで泥酔したビッチより、昼間に路上で知り合ったOLの方が何倍も素敵だ。既にエロモードで臨戦態勢となっている女性より日常が透けて見える女性をエロモードに昇華させた方がずっと価値がある。そうは思わないだろうか。
 
前半はかなり真面目に書いてきたのに、後半はただのエロおじさんが書いた記事みたいになってしまった。まあこれもギャップということでこの記事のオチにしたい。