つかさの自由帳

140文字では伝えきれないこと:自由について本気出して考えてみた


恋愛工学の倫理的課題と自由

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恋愛工学生を自称する僕が傲慢にも恋愛工学の倫理的側面について書きました。鍵となるのはやはり「自由」です。 

思想別に見る恋愛工学批判

恋愛工学はたびたび謂れのない中傷を受けてきた、僕たちはその度にほっといてくれと受け流してきたのだが、今回はあえて彼らの批判に乗っかる形で恋愛工学につきまとう倫理的な課題について解き明かしてみたいと思う。
 
前回の記事では政治思想として三つの思想を紹介した。すなわち『平等』を掲げるリベラル、『共同体の正義』を信奉するコミュニタリアン、そして『自由』に至上価値を置くリバタリアンだ。今回もこのフレームを使って考察したい。
 
初めに恋愛工学生は『自由』に最も価値を認めるリバタリアンであるという前提を置きたい。詳しくは後ほど説明するが、とりあえずその前提に立って他の二つの思想からの批判を見てみよう。
 
まずはリベラルからの批判だ。平等を目指すリベラルは恋愛工学を批判する際に男女平等という錦の御旗を掲げる。男と女は元々平等であるのだから、女を分析対象としてモノのように扱うことは許さないというのだ。ディスる技術もこの文脈において否定される。
 
この点については正直反論するのもバカらしいのだが、やはり繰り返し言っておきたい。恋愛工学はあくまで進化生物学を中心とした科学をベースに恋愛を紐解いているだけであってそれ自体は善悪を内包せず、あくまで価値中立的だ。従って表面的な部分だけを捉えて女性をモノ扱いしていると言われても、まったくもってナンセンスだ。僕にはリベラルからの批判は「一般的に男性は女性よりも優れた腕力を持っている」というセンテンスに対して「女性差別だ」と叫んでいるように聞こえる。そしてこの種の人々にとって恋愛は永遠に謎めいた神秘的なモノでなくてはならず、科学による客観的な分析は認められない。恋愛教の敬虔な巫女である彼女らは崇め奉る神聖な祭壇が研究者の手によって暴かれることを許さないのだ。
 
また男女平等を掲げる人たちにとっては、男女関係も一対一という対等な関係でなくてはならず、一夫多妻を連想させるスタティスティカルアービトラージ(一度に複数の女性にアプローチすること)やモテスパイラル(モテている男性がさらにモテるという現象)といった恋愛工学の基礎理論に対しても嫌悪感を抱く。おそらくアルファな男性が複数の女性を囲う姿が、サル山のボスがたくさんのメスを従えている姿と重なり、そこに一種の主従関係を想起させるためだろう。
 
次に共同体の正義、つまり伝統的な価値観を重んじるコミュニタリアンからの批判だ。彼らの批判は分かりやすい。彼らにとって一夫一妻は伝統であり信じるべき共同体の正義なのだ。そこに対する疑問は連綿と続いてきた社会のシステムを根幹から揺るがすことを意味する。それゆえに彼らもリベラルと同様、スタティスティカルアービトラージのような複数恋愛を肯定する戦略に否定的な立場を取ることになる。
 
もっともこのグループは男性が多く理論の有効性が確認できれば、わりと簡単に恋愛工学生へと転身したりもする。そうしないのはよほど『高潔』な人物であるか、理論を有効活用できない非モテだろう。その意味でこの『共同体の正義』の裏にあるのは非モテの既得権益なのかもしれない。 

恋愛工学の背景にある思想はリバタリアニズム

さて両グループからの批判を見ると、やはり鍵となってくるのは同時に複数の女性にアプローチをかけるというスタティスティカルアービトラージだ。これは男女平等、また伝統的な価値観という観点からも問題視される。
 
無論僕も恋愛工学と出会う前は同時に複数の女性にアプローチするなんてとんでもないと思っていた。伝統的な価値感を信じ、少年ジャンプ的な恋愛観に囚われていたのだ。
 
さて実は恋愛工学がリバタリアニズムに属するというのはこのスタティスティカルアービトラージという戦略から強く主張することができる。つまり複数の女性にアプローチするのも男性の『自由』であるし、そういった男性を好きになるのも女性の『自由』というわけだ。そこに他者が介入する余地はない。誰にも迷惑をかけていない行為なのだから、あくまでそれらの行いは個人の裁量に任されるべきであり『平等』も『正義』もお呼びではないのだ。 
 

 

 

スタティスティカルアービトラージの倫理的課題

ただここで記事を終えてしまっては凡百のブログに埋もれてしまうので、もう一歩だけ踏み込んで、恋愛工学の倫理的な側面について語ってみたい。
 
スタティスティカルアービトラージにつきまとう倫理的な課題、それは情報の非対称性だ。情報の非対称性とは経済学の用語で、例えば株式取引におけるインサイダー取引が代表的なものとして挙げられる。一部の市場関係者が事前にマーケットに関する情報を入手し、不当に株取引で利益を得ることは『自由』を重んじる経済学の世界においても依然として問題視される。この場合プレーヤー間に情報の格差があることで不利益を被る人が存在し、さらにそれは市場では解決できない問題なので、法律による介入を正当化する。
 
情報の非対称性についてはリバタリアニズムの深遠なテーマともなるので、また改めて書きたいと思うが、とにかく恋愛工学のスタティスティカルアービトラージは女性が男性の交際ステータスを入手できないという点において、情報の非対称性を利用したものだと言える。(ちなみに過激派リバタリアンはインサイダー取引を肯定したりもするし、情報の非対称性を問題視しないスタンスを取ったりもする。)
 
それではこのスタティスティカルアービトラージにあるささくれを恋愛工学はどのように捉えるべきなのだろうか。
 
それは、ある意味当然とも言えるのだけれど、絶対に相手の女性にバレてはいけないということだ。藤沢所長のバックグラウンドである物理学の世界から言葉を借りれば、僕たちの倫理的課題はシュレディンガーの猫に託されていると言える。シュレディンガーの猫の概念はとても難解なので詳述は避けるが、そのエッセンスを一言で説明すると『事実は観測者が観測した時に初めて確定する』というものだ。
 
つまり浮気や不倫は女性が観測するまで決して確定することのない現象であって、例えあなたが疑わしい行動をとったとしても女性の中では『浮気したあなた』と『浮気していないあなた』が同時に存在するだけなのだ。開き直りのように聞こえるかもしれない。しかし僕の個人的な経験から言わせてもらえば、多くの女性は「バレないところでは何をしてもいいから、絶対に隠し通せ」という考えを持っているようにも見える。これは男性の悲しき生態を理解した上で、女性が見せる最大限の譲歩なのだろう。
 
もちろん他の女性の存在をほのめかしグリップを強めることはモテスパイラル理論的にも肯定されるし、また他の女性の存在を明かしてもついてきてくれる心の美しい女性に対してはこうした倫理的な問題は発生しない。
 
唯一倫理的な問題が発生するとしたら、それはあなたの浮気がバレ、かつその女性があなたの元を去って行った時だけだ。この時ばかりは自分の魅力の無さを呪い、非倫理的な行動を悔い改めて欲しい。自由を信奉する僕がこんなことを言うのは非常に心苦しく傲慢だとは思うのだけれど、恋愛工学にわずかながら刺さった認知的不協和という棘を取り除く一助になればと願っている。 

恋愛工学が本当に目指すものは真のハイスペアルファ戦略

ここからは余談なのだけれど、進化生物学的にも一夫多妻を肯定する恋愛工学が本当に目指す場所は、おそらく真のハイスペアルファ戦略だ。つまり他の女性との関係を全て開示した上で新規の女性にアプローチをかけるというものだ。しかしながら世の男性は複数の女性を同時に囲えるほど裕福ではないし、初めから複数恋愛を開示できる程のモテでもない。従ってどうしても最初は情報の非対称性を利用したアプローチを取ることになる。
 
男性が真のハイスペアルファ戦略を取れなくなった背景には社会の発展がある。石器時代においては肉体的な完成こそがアルファとなるための重要な要因であり、その意味では性的に成熟する時期と社会的な地位を獲得する時期は概ね一致していた。しかし現代においては富を得ることがアルファの条件となってしまったため、性的な成熟と社会的地位を獲得する時期がズレてきてしまっている。従って本来たくさんのメスを惹きつけるはずの若いオスが、現代社会においては相対的に非モテ貧乏となってしまったのだ。このことは若い男性が真のハイスペアルファ戦略を取りづらくなってしまったことと無関係ではないように思う。 

恋愛工学と『正義』

そしてこれもまったく本筋とは関係のない話なんだけど、恋愛工学生が『正義』を振りかざし他人を言葉の棍棒でぶん殴ることだけはやめて欲しいと思っている。
 
恋愛工学生が『正義』という価値観に寄り添えばはっきり言ってスタティスティカルアービトラージとのダブルスタンダードは免れ得ない。僕達が真に寄り添うべきなのは主観的な『正義』などではなく万人に開かれた『自由』であり、寛容であるべきなのだ。