読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

つかさの自由帳

140文字では伝えきれないこと:自由について本気出して考えてみた


実戦ではまったく役に立たないTOEICが普及した理由

f:id:tsukasa-h:20170316214519j:plain

140文字以内でまとめると「TOEICは役に立たないからこそ普及した」って話です。

裏テーマは「インセンティブの所在を明らかにして真実を見極めよう」です。

TOEICが普及した理由

TOEIC批判には様々なものがあるけれど、それらをひっくるめると大体「実戦では役に立たない」という意見に集約される。それもそのはずだ。TOEICにはスピーキングやライティングのテストがない上に、リスニングはネイティブが本気で話した時の半分ぐらいの難易度しかない。よってこの実践では役に立たないという批判についてはなんら反論の余地はない。

それでは何故この役に立たない試験が日本社会で重宝されているのだろうか。いくつか要因は考えられるけれど、僕は「実戦では役に立たない」からこそTOEICは重宝されているのだと思っている。

TOEICは誰のためのもの?

そもそもTOEICは誰のためのものかということを考えてみよう。就活生のためのものだろうか?それとも企業の採用担当者だろうか?あるいはスキルアップに燃える若きビジネスマンだろうか?

答えは全てNoだ。そう、TOEICTOEIC運営のものなのだ。彼らの視点に立ってインセンティブを読み解けばこの不思議なTOEICというテストの存在意義が見えてくる。

TOEIC運営からすれば、受験生の実際の英会話能力なんて知ったこっちゃない。関心があるのは受験生をたくさん集めることであり、集めたことで稼げるお金だ。つまり、この「実戦では役に立たない」テストは、TOEIC運営が「どうしたら受験生を集められるか」ということを追求した結果であり、巧みなマーケティングの成果なのだ。それをひとつずつ見ていきたい。

排除されたスピーキングとライティング

まずTOEICにはスピーキングとライティングのテストがない。これは実践的な英会話能力を身につけるためのテストとしてはありえない。冷静に考えてみればインプットのみでアウトプットのない試験なんてサッカー部が筋トレのみで試合に望むようなものだ。ではなぜこれらのアウトプット系のテストがTOEICから排除されたのか。それはスピーキングやライティングが多くの受験生にとって難し過ぎるからだ。

ここで言う「難し過ぎる」というのは二つの意味がある。ひとつは話すことや書くことそれ自体、そしてもうひとつが学習する難しさだリスニングやリーディングとは異なり、スピーキングやライティングには相手が必要だ。英文は添削してもらう必要があるし、壁に向かって話しかけるわけにもいかない。オンライン英会話が市民権を得たとはいえ、時間に追われるビジネスマンや金銭的に余裕のない学生にとって、このことは依然として高いハードルになっている。TOEIC運営が受験生を集めるためにこれらのテストを排除したとしても何ら不思議なことではないだろう。

ちなみに「実戦では役に立たない」という批判をかわすためか、お情け程度にTOEIC SWというスピーキングとライティング用のテストも用意されている。しかし通常のTOEICとは別々に実施されている上に受験者数もわずかだ。2013年度のTOEICの受験者数が236万人であるのに対し、TOEIC SWは1.47万人に過ぎない。別々に実施されている理由はもちろん目玉商品である既存のTOEICの受けやすさを維持するためだ。

役に立たないリスニング

TOEICは少なくともリーディングとリスニングには役立つという意見を耳にするが、これも嘘だ。いや、リーディングには多少なりとも役立つかもしれない。でもリスニングは例え満点近くのスコアを叩き出したとしても、ネイティブの発音を聞き取れるようにはならない。なぜならばTOEICの発音はきれい過ぎるし遅過ぎるからだ。

僕はアメリカに来る前にリスニングで満点近くのスコアをマークしたが、ネイティブの会話をまったく聞き取ることができなかった。そもそもネイティブの会話では単語はいくつも省略されるし、前後のワードは有機的に結びつき複雑な発音となっている。TOEICの教科書通りの逐語的な発音を学習しただけではネイティブの会話についていくことは到底できない。

ではなぜ現実と大きく乖離したものとなっているのか。その答えもライティングやスピーキングのテストがない理由と一緒だ。つまり実践的なものにしてしまうと難し過ぎるからだ。

ネイティブレベルの英会話が出題されると今までの英語教育におけるリスニングとの大きな違いに多くの受験生は面を食らう。具体的に言うと①スピードが早く②日本語にはない発音があり③前後のワードが有機的に結びついている、というのが主な理由だろうか。これはアリアハンを出発したばかりの勇者の前にいきなりバラモスが出てくるようなものだ。

一方TOEICの発音はきれいだし遅い。もちろん初学者が完全に聞き取ることは難しいが、ゲームを始めたばかりのプレーヤーのモチベーションを維持するためには程よい難易度が設定されていると言える。

良くできているリーディング

最後に唯一効果がありそうなリーディングについても言及したい。僕はこのリーディングパートは良くできていると思っている。何故なら文章は平易なのに、時間に強めの制約をかけることで難易度の調整に成功しているからだ。TOEIC初心者にありがちなのが時間が足りなくて最後まで解けないというものだが、これこそがTOEIC運営の狙いなのだ。

TOEICは時間の制約がない独学においては意外にも解ける、高得点取れちゃうかも、とすら思う。でも本番では時間が足りなくて最終問題までたどり着かない。甘い誘惑におびき寄せられながらも、絶妙に届かない目標に邁進する受験生の姿はあたかも人参を目の前にぶら下げられた競走馬のようだ。

ここまで書けば言いたいことは伝わっただろうか。「実戦で役に立たない」英語というのはすなわち「受験生のモチベーションを刺激する程良い難易度を保つ」ということを意味する。TOEICは①スピーキングとライティングを切り捨て②リスニングとリーディングの難易度を絶妙に調整したことで受験生を的確にモチベートしているのだ。

やっぱりTOEICはクソなのか?

なんだよ、やっぱりTOEICってクソじゃん。受験生の立場からそう結論を下す人の気持ちも分かる。でも僕はこういった意見にも与しない。なぜなら利害関係者それぞれの立場に立ってみないとTOEICの意義が見えてこないからだ。

まずTOEICは「英会話能力向上を目標としている人」にとっては間違いなくクソだ。そして多くのTOEIC批判はこのカテゴリーに属している人から発せられる。理由はこの記事で散々書いてきた通りだ。

でも就活生や企業の立場から見るとどうだろう。一般的に就職や昇進に必要なTOEICのスコアは700点以上とされており、下の記事によれば総合商社ですら730点が海外赴任の基準となっているらしい。http://www.toeiclab.com/toeic-level/

900点オーバーでも実戦では役に立たないのに一体何故?と思うのだが、これはTOEICが「英語に対する学習意欲の有無」など最低限の資質を見極めるためのテストとして機能しているからだ。従ってそこそこの知性がある人が少し頑張ればクリアできる700点という基準はそれなりに妥当だと言える。

さて以上からTOEICにも少しは弁護の余地があるのかな、というのが結論になるけれど、最後により大局的な視点からTOEICのメリットを述べておきたい。

もしこの世にTOEICがなくTOEFLやIELTSしか存在しなかったとしたら、みんなは英語の勉強をするだろうか?僕はそうは思わない。TOEICがなければ英語は「本気で海外を目指す人」しか勉強しなかっただろう。なぜならTOEFLやIELTSでは難し過ぎるからだ。

絶妙な難易度で設定されているTOEICという試験があったからこそ、辛うじて一般的な日本人も英語学習のモチベーションを保てている。2020年に東京オリンピック開催を控える中、片言でも英語に理解のある日本人が日本にいる。これは存外重要なことだと僕は思う。